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何か金めのもの・・・

チェコ(セルビアの恋人)

今いるプラハは、昔の作家フランツ・カフカが生活し作品を発表していた場所であり、彼の有名で何度も映画化されてる「城」っていう作品も、プラハ城をもとに書かれた。ここにはもちろんフランツ・カフカ博物館もある。

僕は学生の頃、読んだカフカの名言で

 

「多くの人は、時代の周りをまわっているだけだ、自分の人生を生きれる人は少ない」

 

という中二病っぽい話に感銘を受けて、

 

「うんうん、自分オリジナルの人生を生きなきゃな!」

 

と気楽に思い続けていたんだけど、最近、「サピエンス全史(上)」という本を読み、天地がひっくり返るぐらいの衝撃を受た。

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サピエンス全史(上)では、「人間はどうしても、共通認識に支配されてしまう。例えば、僕が花が綺麗だと思ったとしても、共有されている概念によるものらしい。どうも自分の感情っぽくないらしい。」

 

確かに平安時代に美人と言われていた絵と、今の美人と言われている顔は違う。僕が美の認識をどれを採用するかによって変わってくるだけらしい。今の美の認識を捨て去ったとしても、人間は他の認識を選ばざる負えない。人間は共通認識から永遠に自由になれない。共通認識の奴隷なのだ。

 

 

例えば、僕が女の子を気に入ったとしても、それは、僕の心というよりかは、僕が採用した共通認識の判断っぽいのだ。

 

ということは、我々が自由意思だと思ったり感情みたいなものは、多くの場合は、個人そのものに寄るものではなく、共通のみんなの思いみたいなものでしかない。

 

残念なことに、僕はこの見方は的を得てる様に思う。

 

 

カフカの言葉は、

「すべての人は、時代の周りをまわっているだけだ、自分がオリジナルの人生を得たと思うのは勘違いだ、他人と別の共通認識を選択したに過ぎない。」

と修正すべきだろう。

 

 

 

それで、僕は、人生どう生きようか?と考えた。

 

僕は、カフカと同様、中二病全開の人間なので、ただ、まんざら生きてるのは嫌なタイプなのだ。

(このヨーロッパの旅もロンドンやパリ行ったことないくせに、中二病っぽくちょっとひねった東欧を回っている。)

しかし、僕らはオリジナルの人生をおくれないらしい、共通として認識されている、数あるタイプの人生中から選ぶしかないのだ。

 

 

 

そんなんで、すごく、良いと思った人の人生を採用しよう。

僕の場合、映画が好きなので、偉大な映画監督のホロドフスキーの目頭があつくなり、涙が流さずいられない名言を採用して、なんでもYesという人生を送りたいと思う。

 

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(動画中1分11秒でイエスと連発しだします)

 

「人生で何かが近づいてきたら”イエス”と受け入れる」

「離れて行ってもイエスだ」

デューンの中止もイエスだ」

「失敗がなんだ。」

 

と、主体的になんでも受け入れる生き方はすばらしいとおもったのでこれを採用していきたい。

 

だから、前回のブログで友達ができないやとか言ってたのは間違いだ。

実は僕が壁を作ってただけなんだ。

 

プラハではセルビアの女の子から一緒に街を回りましょうと声を掛けられた。

ブダペストでも声を掛けられてたけど、僕は壁を作ってて、このセルビア人は、可愛くて、とても知的だったから、相場で忙しいけど一緒に街に行くことになった。

 

プラハは素晴らしい街だ。

彼女もぶっ飛んで面白い話がたくさんあるけど割愛する。でも、今日、旅人なので去って行った。

去って行っても、もちろんイエスだ。

何を言いたいかというと、今後は、僕から人に声を掛ける様にしようという事。